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働くとは【端(はた)を楽(らく)にすること】

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働いている人ならば働いていくことについて、(なぜ人間は働かなければならないのか)と一度は考えたことがあると思う。

そもそも人間は生きている限り社会の中で生きていかなければならないし、その為には衣・食・住のお金が必要になる。

その為には働いてお金を稼ぐしかない。そうじゃないと物が買えないし税金も払えない。その働いたお金のおかげで社会というコミュニティの中で生きていくことができる。

学校を卒業した私達は当たり前のように社会人になり会社に入って働く。それが社会で生きていくということへの当たり前の奉仕であるからだ。

しかし、実際にその意味を持ち続けて働きつづけていくことは困難で、そもそもの仕事の意義や意味を見出すことはなかなか難しい。

働くことのそもそもの根源とはなにか?

社会から抜けたところで生きていきたいともし考えれば、自分で衣食住の為に行動するしかない。それは昔の農耕民族のように全部自分でやるということ。それで、そもそものお金が必要になるという概念からは離れることができるようにはなる。

しかし自前の生活というのは常に動いて行動していなければ生きていくことすら困難であるということになる。

昔、社会というコミュニティがなかった時代は個人が各々で自分の生活を守ってきた。

家を自前で建て、自分で食べる食材は自分で確保する。お米や野菜は田んぼや畑でつくり、魚は釣り、肉は鹿やイノシシを狩猟。自分で身につける服は自分でつくる。水道光熱は火をおこしたり川や井戸で水を汲んだり。

自分の生活は自分で働いて守るスタイル。

しかしこれが集団を形成して、村や集落という単位になってくるとその中で助け合いや協力が産まれてきた。

家を建てるのを得意とした人、食べ物を作るのを得意とした人、狩りが得意な人、様々な得意分野を持った人が出てくる。

「それやるんだったらあの人に頼むといいよ」という具合に、自分のことを自分でやっていた時間を、その分野が得意な人にやってもらうようになった。 

そして、当時はお金かどうかはわからないが、やってもらった行為に対して何か対価を支払う。

その対価を用いて今度は人の行動に対するものを払うという、お金の循環に近いものが出来た。

端を楽にすること

これは言い換えると自分で作業していた時間をお金で買うということにつながる。

つまり今までは自分で時間をかけてやっていたことを他の人にやってもらうことで、自分のやるべきことの時間を確保できるということになる。

そうすれば一日中かけて衣食住を揃える為に畑を耕したり狩りをしたり火を起こしたりしていた行動が、半分やそこらで済んでしまうことになる。

これがすなわち【人の端を楽にする】「はたらく」という元々のはたらくという意味になる。 

 

そう、働くとは人の端を楽にしてさしあげるということ。

そもそもの意味は人の為に行動するということ。

 

現代社会では、はたらくという行為が見えにくい

現代社会に話しを戻して照らし合わせてみると昔と形こそ変われど本質は何も変わっていないことにきづきます。自らが働いて動くことで、誰かの為になってるし、誰かの役に必ずたっている。

でも実際は現代の複雑かつ成熟しきった社会ではそう簡単ではなく、自分がしている仕事が人の為になっているのかが見えにくく、わかりづらいことが仕事自体に意味を見出すことが難しいことになっているのも事実。

本当にこの仕事をやってていいのかどうかわからなくなる時もあるのもわかります。

だけど、確かに働くということは誰かの為になってるんです。

私は幸いにもお客さんの感謝や反応がダイレクトに伝わる接客の仕事をしています。

私の仕事は髪に携わる仕事ですが、お客さんに「スッキリした、とっても気持ちよく快適になった、またよろしくね」と言葉をかけて頂く。これがもっとも好きな言葉で、これだけで働いていてよかったな、今日も誰かの為になったなと感じることが出来る。

仕事が楽しいと思う瞬間です。

そう、仕事は楽しくなければならないし、一年の9割の時間を締める仕事を楽しまなくちゃ人生も楽しむこともままならない。

そして、そのヒントは端を楽にすること。

あなたが何かしらの仕事をすることによってそれが必ず人の役にたっている。

エメマンのCM

コーヒーのエメラルドマウンテンのCMで『世の中は誰かの仕事によって成り立っている』というのがありますが、個人的にすごく好きなCMで、有名な少数の人が世の中を動かしているのではなく、無名な多数の誰かによって世の中は動いている。

まさに1人1人がやっている仕事が社会を動かしている。

そう考えることによって、誰かの役に立っているということを自分の中で認識できるようになると、仕事は楽しいと思えるようになるんだと思います。

人生は長く厳しい

そうは言っても、人生綺麗事ばかりではなく、恐ろしいほど複雑でしがらみが絡み合った大変ないばらの道のりであります。

かくいう私も人生を生きる意味を見失うことも多くある。

そもそも何の為に生まれて死ぬのか。

税金を払う為に仕事をして生きるのか?

家のローンや車のローンを支払う為に仕事をするのか?

子孫を残して語り継いでいく為か?

では生まれて生きていく意味は?

こんなことを考える日々です。

でも、普段の何気ない行動や仕事で人に喜んでもらったとき、人の為に役に立ったとき、人の端を楽にしてさしあげられたときは不思議なくらい、心底良かった、嬉しいという感情になります。

やっぱり人は人の為に生きたいんだと思うんです。

家族を持ったら家族の為に働く。会社や周りにいる仲間の為に働く。スポーツでも芸能でも人に感動を与えたいから頑張る。

人の役に立ち、人に喜んでもらう。

これが人が生きていく上での最大のモチベーションではないかと思うんです。

純粋に誰かのためになることによってその嬉しさを喜びを噛みしめる。

感動や感謝こそが生きる原動力。

そして

働いているというだけで、人の為になっているということを本当に強く伝えたいし、だからこそ仕事をする意味や意義だってきっとみいだせる。

このことを今回はこのことをお伝えしたく書かせていただきました。

最後までお読み頂きありがとうございました。