レンタルなんもしない人を知らない人に送る
今SNSなどで話題のレンタルなんもしない人。
ネット世代の若い人たちにとっては知らない人はいないと思うが、レンタルなんもしない人の活動はその名の通り
「なんもしない」
ただ依頼者と一緒に居て話を聞いたりご飯を食べたり。部屋の片づけをただ見守ったり、見送りを手伝ったりなど多岐に渡る。
『レンタルなんもしない人』というサービスをしています。1人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。
— レンタルなんもしない人 (@morimotoshoji) September 16, 2019
1万円と国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます。
青い帽子がトレードマークのレンタルなんもしない人。通称レンタルさん。
一年で受けた依頼は1500件を超える。
ツイッターのフォロワー数は20万人を超えた。
そのへんの石とかも「空間を歪める」ということをしてるし、厳密な意味で何もしないことは存在しないことでしか達成できないです https://t.co/yAwLiwkNeQ
— レンタルなんもしない人 (@morimotoshoji) September 7, 2019
意外にも本人はツイッターのフォロワー数が多くなることに関心をもっていて"いいね"をされたり通知が来たりすることを気持ちいいと感じ、それをモチベーションに感じている。
当の本人は依頼者のためにしてあげている感覚はあまりないようで、いろいろなところを取材できるとか、依頼者の気持ちを知りたいなどの自分の欲求に応じて引き受けている。
幼い頃から人づき合いが苦手でテレビゲームが友達。
勉強は抜群にできるが誰にでもできるようなことがなにもできない。
大学院での秀才だが社会ではなんの役にも立たない。当然のことながら会社に入れば成果が求められるがそれが嫌でいくつもの仕事を転々とし約8年でドロップアウト。
それで行き着いた先がなんもしないこと。
レンタルなんもしない人への依頼
依頼内容はとてもさまざまだ。
ある依頼は人の前でヘラヘラしてしまう癖を直したい。友達や彼氏の前でなんかあるとすぐに笑ってヘラヘラしてしまう。
それは自分の意図には反していて、本当は笑いたくないのに嫌われたくない、場の空気を悪くしたくないという理由でついなんでもない事を笑ってしまうとのこと。
依頼者はレンタルさんと時間を一緒に過ごし「好かれようと思われないで話すことはとても楽だった」と笑顔で語っていた。
他にもピアノ練習をするので寝ていてもいいので見守っていてほしいという依頼や
1人で入りづらい喫茶店に同行してほしい
駅から労働基準監督署まで一緒に歩いてほしい
自分のライブを見にきてほしい、などなど。
要するに普通では人に頼めないことをレンタルなんもしない人に頼んでそれをレンタルするわけだ。
別になにもしない
レンタルさんは特段なにもしない。
害になるようなことはもちろんしないしただ普通にそこに居るだけ。
怪しいことをしたりしなければ何か特別なカウンセリングや特殊なこともしない。
依頼者が喋りたければ喋るし、黙っていれば黙っている。
まぁ普通の感覚ではなにそれ?だよね。
特にガチで生きてきた世代なんかは
「なにやってんだまじめに働け」とか
「悩みなんて自分で解決しろ」とか否定的に思うだろう。
普通のことができにくい世の中
レンタルなんもしない人の活動は今の社会をとにかく象徴しているようで
人との関わり合い無しでは生きていけない世の中で息苦しさと生きづらさを抱えて生きている人はすごく多くて
多種多様、便利一辺倒の成熟した社会ではみんな親や友達にも相談出来ないことを抱えていて、その中でなんにもしなくていいけど、ただそこに居てくれるだけで満足、助かるという単純な願いを叶えるための活動というのが、共感せずにはいられない。
普通のことが普通にできにくい世の中で
普通のことをできる時間がとても貴重な時間である
世の中便利になれば便利になるほど普通には生きていくのは大変になっていくとはなんとも皮肉なことである。
なんでもやってくれる便利屋ではなく、なんもしないレンタルされる人が流行る。
便利の社会の裏返しが【何もない普通の時間をが欲しい】ということなのか。
実際にレンタルさんを利用して救われている人達はいる。
別にリアクションとかとってくれなくていいから普通に話を聞いてほしい。
ただそこにいて欲しい。
単純で誰にでも出来そうなことだが、誰にでも出来ないことこそがレンタルさんの活動なんだ。
しかし、ツイッターなどのSNSでは称賛ばかりではなく否定的なコメントも目立つ。
妻子が居ながらの活動であること(つまり報酬が0ということ)や本人が制約されるのが嫌になってきたなどの理由から別居をしていたりすることも批判的である人が多い理由だ。
それには自分も少しの疑問はある。
ただ思い返して欲しいのが彼は社会では成果を出せなかった人であること。
社会に適合するのがなかなか難しかったという事実があったこと。
そこで、自分なりに色々試してトライして、なんとかたどり着いたのがなんもしない活動。
人は皆が皆、同じ事は出来ない。
普通の一般の人は社会で当たり前のように会社に勤めながら生きていくことができる。
しかしそれがレンタルさんにはできない。
逆にレンタルさんにできることを一般の社会人ができるかと言ったら、それはできないと思う。
人の空虚な隙間を埋めることがレンタルさんには出来る
それが人それぞれの能力であり、レンタルさんの能力は正にこれであり、今それを存分にやって楽しんでいる姿は人生において自分のやりたい事を見つけられた喜びに満ちているんじゃないかな。
それはすごく羨ましいことだから、それを差し引いて物事を考えた時、もちろん世間とのズレがあるが、そうした能力を最大限に生かす生き方も有りなのではないかと個人的には思う。
(家庭も円満に生活していけることを願うばかりだが)
終わりに
これからもレンタルなんもしない人の活動は続くと思う。
レンタルさんに救われている人達はたくさんいるし、この便利で生きにくい現代の世の中を空虚で埋めることが難しい心のスペースをレンタルなんもしない人はこれからも埋めていくだろう。
是非多くの人の力になって欲しいと思うし、今後はどんな活動やその姿を見せてくれるのか興味が尽きない。