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オリンピックおじさんの金言 【人を喜ばせ幸せにする】

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先日オリンピックおじさんこと、山田直稔さんが亡くなられましたが、本当に深い言葉と行動を残しておられていきましたので、今回は偲んでこの金言とも言える言葉をご紹介していきたいと思います。

 

オリンピックおじさん

山田直稔さん

1964年の東京オリンピックからリオデジャネイロオリンピックまでの14大会連続で現地でオリンピックを観戦(冬季オリンピックは98年長野のみ)

オリンピックでレスリングや柔道がテレビでかかれば先頭になって応援してメディアの露出も高く、おそらく知らない人はいないであろうと思います。

オリンピックにのめり込んだのは1968年のメキシコオリンピック。

現地観戦していた陸上競技で選手が何周もしているうちに日本人選手がわからなくなり、間違えてメキシコ人選手を応援してしまう。

山田さんは頑張れメキシコ人選手!という意味で「ランラン(走れ走れ)」と応援したところ、その言葉はメキシコでは頑張れという意味で、「メキシコ、頑張れ!」という意味に捉えられてしまい、メキシコ人が今度は日本人選手を応援してお返しをしましま。

やがて応援合戦みたいな感じになり会場が驚き、湧き上がり、他の国の人たちも立ち上がって、日本人選手含め、みんなを応援し始め、会場の数十万人が一体になった。

このとんでもない経験が山田さんをオリンピックにのめり込むキッカケになったということ。この話は有名ですよね^_^

金言其の壱

『言葉は通じなくても、真心は絶対に通じる』

以来、山田さんは外国の言葉はほとんど話せないのに、いろいろな国の方と現地で交流していきます。

ハッピーコインと呼ばれる新品5円玉を沢山用意し、それを行き会う人々に会っては配って現地で色々な国の方達と交流します。

言葉は話せないけど、オリンピックを応援をしに来ている人々とその瞬間を大切にする。

言葉は通じないけれど、真正面から面と向かってその人に問いかければ必ず自分の言わんとする言葉は通じる、心は通じる。

そんな信念が垣間見えるエピソードです。

政治的影響

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モスクワ大会で日本が政治的影響の理由から参加ボイコットを表明すると、山田さんは即行動を起こします。

「本来のオリンピックの意義は平和の証・象徴」そのことに反した結論に納得がいかず、1人単身でモスクワに乗り込み平和と友好を訴える為に現地で応援し続けました。

このエピソードは言葉だけではなく、行動を起こすことの重要性を教えてくれます。ものすごく勇気ある行動ですし、生半可や気持ちでは絶対に出来ないことです。

本来オリンピックは五色人類が一堂に会し、手に手を取り合い、お互いの成果を研鑽しあう場所です。だからオリンピックのシンボルはそれぞれの人種の肌の色、黄、赤、青、白(オリンピックの旗では緑)、黒の五色の色をしているのです。

「平和」

この誰もが望むこと。人類は元一つ人種、言語の垣根はいらない。 

オリンピックは正にそれをスポーツという形で競い、表現し合い真剣勝負を披露することでそれを体現しているものであります。

またそれを違う形でオリンピックおじさんこと山田さんは実際に行動に移し表現してきました。

言葉は通じなくとも真心で接すれば必ず心の会話ができる。人類はみんな仲良く一緒なんだよと教えてくれているようでした。

金言其の弐

『人を喜ばす数の多い人が幸せになれる』

【みんな幸せになりたいんだよね。幸せになりたいんだったら人を多く喜ばせて幸せにしてあげましょう‼︎】

テレビでにこやかな笑顔で話しているのを見てすごく共感したことを覚えています。

なんというか、人生をきちんと歩んだ人の言葉の重みといいますか、そういうのがどしっと説得力を持って語りかけられているようでした。

人に与えて、与えて、与えることが結果巡りにめぐって自分のところに返ってくる

やっぱり多くの人に生きる勇気や元気を与え続けているスポーツ選手やアーティストは、とてつもないエネルギーに満ちていますし、それは正に自分に返ってくるエネルギーで幸せの源。

山田さんも日本の選手、現地で応援している人、テレビの前で観戦している人達に元気を与えつづけました。

必死に楽しそうに元気いっぱいに応援している山田さんは幸せそうに見えました。

自分のことだけを考えれば心は小さくなり、人の為を考えれるようになれば心は広く、大きくなる。

自分のことだけを考えている時は周りが見えなくなって人を受けつけなくなるから、なんでも自分基準になる。自分中心だから人が鬱陶しくてたまらなくなる。

これでは人に喜びを与えることは到底不可能。

逆に、人の為になるようなことを考えている時は周りがすごく見える。周りに対して何かしてあげたくなる。

自分は人に何ができるだろうって考えるから広くおおらかになる。少々嫌なことがあっても気にならなくなるし、怒らなくなる。

すると周りから人が寄ってきて、それを自ら惹きつけていることに気づく。

この世に生を預かって必死にいきなければならない以上、人のためになることをしていきたい。全部はできないかもしれないが、出来るだけそうしたい。

山田さんの言葉でそれに再度気づかせていただくことができました。

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