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新説!所JAPAN 安土城の構造から明らかになる織田信長の新説!

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新説!所JAPANいつも楽しく拝見していますが今回の歴史ミステリーも面白かったですね^_^

今回は、歴史学者・磯田道史先生と巡る歴史ミステリーの第3弾。

織田信長の最後の居城・安土城はなぜ燃やされたのか?実は裏切られ続けた信長の人生から、安土城の構造から見る、信長の新説という視点であらゆることの謎を解いていきました。

織田信長の最後の居城として知られる安土城。当時最大級と言われた絢爛豪華なその城は、本能寺の変からわずか13日後に焼失し、その原因は未だ謎のままです。

今回、磯田先生と芸人かまいたちが訪れたのは、滋賀県・近江八幡市にある安土城跡。城郭考古学者・千田嘉博先生も加わり、名実共に最強タッグが完成!

安土城を見れば信長の脳内が見える!?

安土城の階段を登っていきます。およそ300段ある階段で安土城がいかに高い場所にあるかがうかがえ知れます。

するとまもなく伝羽柴秀吉邸と見られる場所へ。

普通、城下町といえば家臣たちは大名の城を囲むように己の城を構えそこに暮らしていましたが、信長の安土城は家臣たちに安土城の敷地内に屋敷を構えさせてそこに住まわせました。

そして石段を上がるたびにさまざまな家臣の屋敷が立ち並びます。これは実際にみるとまるで上からその様子を伺えるよう。

これは信長が家臣たちを直近に住まわせ、さまざまな監視を行っていたのではないかということなのです。

そして安土城にはある特徴が。

それは真っ直ぐにのびた階段です。

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普通城を築城する時は敵に攻められないように入り組んだ形を取るものですが、信長はあえて真っ直ぐに階段を築きました。

これは、何も恐れるものはないという信長の意思でもありその反面、家臣達にとっては後ろに天守、つまり信長が居るので逃げるに逃げられない。

前から向かってきた敵にひたすらに立ち向かうしかない。常に信長からの圧迫面接を受けていたことになっていたと千田先生はおっしゃっていました。

次に真っ直ぐな階段を登っていき天守に近くなってきます。すると今度は逆に入り組んだ構造になっており、敵に攻められないように鉄壁に守る構図で城をつくられていました。

信長は家臣達の屋敷の近くは真っ直ぐな階段にしているくせに自分の居場所の近辺は曲がりくねった道をつくっている。

これは家臣達への不信感から信長がしていたものだったとのこと。

家臣達を信頼しているように見せて本当は心の中では疑っているのではないか。家臣達ももしかして俺らのことあんま信用してないんじゃないか?となってしまい、それが信長と家臣の隙間を生んでしまったと磯田先生は解説しています。

これでは家臣達から「信長様は自分のことしか考えておられないのではないか?」という疑念につながってしまいますよね。

そして階段を登りきっていくと、信長のプライベートスペース信長エリアに到達。

そこには黒金門という、枡形を使った当時最先端の門があったところ。一度入ってまた曲がり二度目の門もくぐらなければならない構造のため、鉄壁の守りを果たす重要な門。

信長がここから先は本当に信用しているものしか通さないぞという気合いの門。

そのプライベートスペースに例外に入ることを認められていたのが、信長お気に入りの美少年であの有名な森蘭丸です。

信長は美少年達を愛していました。森蘭丸などは信長の爪を切りその切った数さえも覚えているくらい信長が好き。相思相愛の特別な家臣だったといいます。

今までの戦場で功績のある家臣達は城下に住まわせて、若いお気に入りの家臣は天守に住まわせる。ある種の反感や疑念を抱くのも無理はありませんね。

豪華絢爛の天守がケンカを売る!?

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次に城の核心に迫る天守です。

その豪華絢爛な造りの天守にこそ信長の真意が隠されているといいます。

6階建てのド派手な金箔・朱塗り・八角形の建造物。

5階部分には仏教建築の象徴である八角形の朝廷が使う朱塗りの色を使った建物を。

その上に立つ6階部分には金閣寺を彷彿とさせる一面金箔に施された建物が。そここそが信長の住む場所

そんな、仏教・朝廷・室町幕府を象徴するような場所に居住を構えているのですからもはや

朝廷も幕府も我が手中に有り!恐れるものなどなにもない

このような造りの為、安土城天守自体が仏教界や幕府に向かって挑発していたともいえることでした。

ってか信長ってホントに怖いもん知らずですげーすよね。普通にできないことを平気でするし、逆らって向かってくるものは徹底的に叩き潰すし。これは後にも存在し得ない程の圧倒的な個性と存在感、カリスマ性です。

信長は超実力主義だった⁉︎

信長は仕事の成果をあげてこない家臣達を嫌います。それは今までに功績をあげていた、自分の父親の代から仕えていた長年の家臣でさえ、簡単に左遷してしまう程の厳しさです。

しかしその反面実力のある成果をあげるものは積極的に使っていきます。

信長はどうやって若い家臣を集めていたか

信長は1500人程の力自慢を京の周辺から集め、相撲大会を行います。その相撲大会の優秀な成績を修めた人物を家臣に取り入れるということをしていました。

家臣に向かい入れられる方は大出世がかかっていますし人生が変わります。しかしそれは野心を持つ者を取り込むということに他なりません。反面裏切られることも。

これは何を意味するのでしょう。

信長は超実力主義だった為に今までの家臣達を差し置いての行動は家臣達の心を冷えさせ、裏切られる可能性を大いに秘めてしまうということです。

長年奉公してきた親分が急に手のひらを返すのですから部下からすれば、「おいそりゃないよ!」とたまったものではないです。信長に対する不信感が募っていきますよね?

これにはスタジオのアメリカ出身のパックンが日本の終身雇用ではなく、まるでアメリカの資本主義のようにヘッドハンティングしたりクビにしたりする実力主義を極めた男!と言うと磯田先生はこの信長のスタイルに嫌気がさした信長じゃないスタイルをやっていったのが秀吉であり家康でそれが日本の以後の歴史のシステムとして継承されていったのだと解説。

すると所さんがすかさず「アメリカはまだ遅れてんだよ!まだ信長の時代だから今から秀吉や家康が出てくるよ」と言って、パックンもなるほど!とスタジオでは笑いが。

それほどまでに信長という人物がいかに最先端の知識をもった異能な人物だったのかが垣間見えるエピソードでした。

信長はKYTD

そしてこの超実力主義のトップダウンでなんでも言うことを聞かせるスタイルが信長を裏切られ人生へと向かわせてしまったのかもしれません。

空気を読まないトップダウン采配。略してKYTD。

あくまで空気を読めないのではなく読まない。

聞こえは最高にカッコいいですよね。カリスマ性抜群でむしろ付いていきたくなります。

なんでも俺のいう通りにしろ!なれ!と圧倒的な政治力で爆進する。

信長は今までの穏やかでなまぬるいやり方をとことん嫌い、排除していきました。

安土城の天守閣を燃やした犯人は誰か?

そして、信長の死後、安土城に火をつけたのは誰か…。

千田先生は焼けた石の損傷具合によってどこが一番の火元かを調査していきます。するとなんと天守内、つまり信長の住んでいたところに近い位置が火元ではないかと仮説を立てました。これは何を意味するかというと城内に無傷で入れる人間が火を放ったということ。

明智光秀が火を放った説がありますが、城の下の家臣達の屋敷付近は焼けた形跡がないことから攻め入る際に下から徐々に火をつけて上に上がっていくのが定石の方法としては燃えた形跡がないのはやはり無理があるのではないか。

つまり武装をしていない人物が中から火を放った説が出てくる。

明智光秀が謀反を起こし、家臣達にくすぶっていた信長に対する不信感。このままでは明智に

安土城を取られてしまう。そう感じた信長の親族が火を放ったのではないかと先生は新説を立てていました。この新説は斬新ですよね。

信長の親族が火を放った。そう考えただけでショックですよね🤯

まとめと感想

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安土城の構造から推測してここまでのことがわかるなんて歴史好きとしては本当に感動しました。

これまでの信長の人物像を大げさに崩さずにそれでいて新たな斬新な説を導きだしていくから磯田先生の解説は好きなんです。

まとめると

・信長は今まで悪ガキ仲間だった家臣達と成果を出していって天下統一寸前までいったが、安土城を建設すると若い美少年的家臣達とポツリと住むようになり孤独に

・建物が与える影響は大きく、次第に家臣達の心が離れていった

・信長の超実力主義は半端ではなくその圧倒的個性の前に嫌気がさしていく人も多かった

番組を観てまた一層信長のことを知れたので本当に嬉しかったです。

信長は破天荒で空気を読まず家臣達を振り回す

一見普通ではないことですが、しかしそれが出来たからこそ、本当に短い時間で天下を治める寸前までいったんですよね。でなければ短期期間やにあそこまで到達することは不可能なことでしたし、信長でなければ絶対に成し遂げられないことでした。

次回の歴史ミステリーも楽しみです。